Dialogue with Ryohei Kawanishi
Muktaのリニューアルに伴い、私たちが考えるお店の在り方、私たちスタッフの在り方について、過去にhoneyee.comにて掲載されたMukta/Sal 代表の宮崎と、LES SIX クリエイティブディレクター 川西遼平氏とのインタビューを転載いたします。
なお、2018年10月掲載当時のままの内容になります。
今も変わらぬその姿勢を、改めてご覧ください。
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LANDLORD(ランドロード)のクリエイティブディレクター、川西遼平が会いたいクリエイターのもとを訪ねるインタビュー連載。今回のゲストは、神戸のセレクトショップMUKTA(ムクタ)のオーナー、宮崎雅也。
神戸の三宮駅から徒歩10分ほど、周りにファッション系の店など何もなく、人通りも少ない裏通りに、MUKTAはある。この店が取り扱うのは尖ったデザイナーの手がける服ばかりで、中でも主力のSULVAM(サルバム)は毎シーズンほぼ全型を仕入れて定価で売り切り、サルバムを世界一売り上げる店舗だという。そして、セールは全く行わない方針。こうしたMUKTAの独自のスタイルに取り扱いブランドのデザイナーたちは厚い信頼を寄せており、川西も例外ではない。
決して好立地とは言えない場所で、オーナー含めて4人のスタッフで作り上げる店が、いかにして熱狂的なファンを獲得しているのか? LANDLORDの取り扱いを記念して8月にMUKTAが開催したパーティの際に、インタビューを敢行。
デザイナー自身のことが好きなブランドだけを扱う
── MUKTAが取り扱っているのは、メジャーどころというよりはデザイナーの個性が際立ったブランドが多いですね。こうしたデザイン性の高い服を、神戸の中心地から外れたこの場所で売るための秘訣は何ですか?
宮崎 僕自身が神戸出身で、本当に良いと思った服は高額でも構わず買っていたので、ちゃんと伝えれば、場所は関係なく売ることができると思うんですけど。売るにあたっての大前提は、僕がデザイナー自身のことを好きなブランドの服を扱うことですね。どちらかというと、服自体は二番目で、デザイナーありき。
川西 その考え方は珍しいかもしれないね。
宮崎 服が超カッコよくても、デザイナーのことがめっちゃ嫌いやったら、僕はやりたくない。逆に、サルバムは藤田哲平が好きだから伝えられるんです。今回ランドロードを入れたのも、(川西)遼平くんがやってるブランドだからなんで。
── サルバムを入れたのは何がきっかけだったんですか?
宮崎 当時、たまたま哲平さんのお知り合いがお店に来られて、サルバムをご紹介いただいたんですよ。で、たまたま東京に行っていたときにタイミングが合って展示会に行ったら哲平さんと会うことができて、幸運にもファーストシーズンからお取り扱いさせていただけることになりました。そのときはウチも本当に小ちゃくて食えてない状況だったんで、少しだけでしたけど。そこから、気づけばサルバムに食わしてもらってる立場になりました。そんな感じで、僕はブランドと一緒に成長していきたい。
── サルバムのミラノやパリでのショーを手伝われているそうですね。
宮崎 はい、哲平さんと同じホテルの部屋で寝泊まりもして。そうやってサルバムが海外に進出してくれたおかげで、ついていった自分も海外でショーや展示会を見られるようになったんです。デザイナーから他のデザイナーを紹介してもらって話す機会も多くなって、それまで神戸の小さなお店の店主でしかなかった僕が、服の向こうにある世界を見られるようになった。そうやって見聞きしたことを、神戸に持って帰ってそのままお客さんに伝えたいなと思っていて。
── バイイングの際に、「一定の知名度があって収益を見込めそうなこのブランドを入れておけば安心」というような発想はないのでしょうか?
宮崎 ないですね。僕が会ったことない人がやってるブランドは入れようと思わないです。
── 例えばネットで気になるブランドを見つけてデザイナーに会いに行くこともあるんですか?
宮崎 ネットで新しいブランド探しても、だいたいインポートのブランドが多くて。でも、僕、全然英語喋れへんから、デザイナーとコミュニケーション取れへんので。英語が話せればそこはクリアになるので、課題だと思ってます。結局、ダメになっていくお店ってコミュニケーション不足やと思うんすよ。僕はデザイナーと喋りたい。
SNSよりも親密なコミュニケーション
── 服の作り手とのコミュニケーションが何よりも重要なんですね。
川西 僕自身がブランドやればやるほどじわじわ思うようになったことがあって、目に見えないインスタの向こうの数千、数万人に投げるより、目の前にいる三人のお客さんに対して向き合うことのほうが大事なんじゃないかなって。時代の流れから言ってインスタやネットから攻めていけばどうにかなると思ってたんだけど、結局、実際に売るときにはコミュニケーションの問題になるから、「誰に対して何をしているか」を考える必要がある。音楽のライブとかだったら、目の前にお客さんがいて、乗ってくれてる姿が見えるから、場の空気感を感じながら調整できるじゃん。でも、僕らファッションの作り手って、そういう相手の反応が一切見えないから。モノを作ったら、送って、「あとはお願いしまーす」で終わってしまう。
宮崎 僕らも店のSNSとかブログでの発信もやるにはやるけど、お客さんのひとりひとりに連絡して、直に話して伝えるほうがずっと大事。自分も若い時は店員さんに会うために店に行ってて、ある「誰々さん」がいる日に行きたかったんですよね。
── インスタがあってオンラインストアもあって、モノを売るには基本的にネットを経由する方が効果も効率も良さそうな時代ですが、そうでもないんですね。
川西 逆にこれ(iPhone)のせいでそうなった。これって、人と人の距離縮めたようで、実は遠ざけたんだと思う。
「身の上話8:服2」で接客
── 最初の質問でも軽く触れたのですが、東京や大阪などの大都市から見たときに「地方都市」とされる神戸でファッションを好きになり、10代のうちから金額を問わず好きになった洋服を手に入れたくなる人がいるのはなぜだと思いますか?
宮崎 カッコいい先輩とか、おしゃれなクラスメイト、その兄ちゃんとか、そういう人の影響を受けるんですよね。雑誌って東京のことばっかりなんで、あんまり関係ない。だから結局は、人づてでお店に足を運んでたのかもしれない。そうしてどんどんのめり込んでいくと自然と高い服でもお金貯めて買うようになる。自分も10代の頃そうやったから。
── 神戸にファッションやカルチャーのシーンってあるんですか? 「服を着ていく場所」と言いますか。
宮崎 いえ、神戸って遊ぶ場所がなくて。東京だったらクラブとかあるのかもしれないですけど。うちのお客さんは派手に遊ぶ感じでもないし。
── 服を買って、それを着てまたお店を訪れる、ということでしょうか。
宮崎 そんな感じですね。もったいないなと思うし、それこそが僕らの課題かなと。神戸を盛り上げたいとかは別にどうでもいいんですけど、うちに来てくれたお客さんだけは本当に大切なんで、例えば音楽のイベントをやって、その時に着て来てほしい。そういう空間は作りたい。
── さっき、若いお客さんのお会計の様子を見ていたら、「デポジットを入れてくれたら、支払いはまた後日でいいよ」といったようなやりとりをされていました。
宮崎 お客さんと僕らとの信頼です。昔の古着屋ってそんなの多くて、自分も金なかったときには助かってた。給料日挟んでだったら買える! みたいな。だからもうなんか……めんどくさいんすよ、服屋って(笑)。
── 人間味溢れてますね(笑)。
宮崎 店員とお客さんなんですけど、店員はお兄ちゃん的な感じで、恋愛相談とか進路の話とかもして。「身の上話8:服2」みたいな感じでウチはやってるんです。
MUKTAが生まれるまで
── 宮崎さんがお店を開くことになった経緯を教えてください。
宮崎 神戸出身でずっとここなんですけど、大学の時から服屋でバイトしてて、結局、大学辞めちゃって。バイトしてた会社に就職したんですよ。で、いきなり営業行けとか生産管理しろとか、ブランド立ち上げるから手伝えとか、なんでもやらされました。服のデザインもやったんですけど、その会社では「古着をサンプリングして身幅どうのこうの」ってデザインやってるわけで、「あ、自分もデザイナーにもなれるんだ」って思いましたね。勝手にデザイナーって凄いと思っていたんですけど。デザインするという行為だけなら誰にでも出来ることを知りました。そこであらゆることを経験したんですが、色々あってやめることにして。「バイトしてもしゃあないしな、じゃあ服屋やるか」みたいな感じで本当に適当にはじめました。結局、店やりながら金なくてすぐにバイトはじめたんですけど(笑)。
川西 もともとどんなファッションが好きだったの?
宮崎 古着ばっかり。でもモードな感じというか、シルクのサルエルパンツ履いて、ドレープの効いたジャケット着て、ヒールブーツ、みたいな。
川西 ゴッファ(大阪の古着屋fethers goffa)みたいな?
宮崎 そうそう、当時、そういうボロルック的なカルチャーがあったんですよね。
── MUKTAは何年前にはじまったのですか?
宮崎 7年前。いざ店を作るとなってもお金なくて、とりあえず国金行って、なんもわからんから適当に1000万貸してくれって言ったら速攻で落とされて。でも勝手に借りれるって思ってたから、すでに家具屋とかで200万くらい取置きしてたんで、ヤバいってなってサラ金に電話したんです。そしたら電話の向こうのオバちゃんに「いや、無職って、無理やわアンタ。ナメてんの」みたいに言われて、「落ちた、終わった」みたいな。で、闇金にも行って、ニキビ面のガキに「お前の親父土地持ってんの」とか言われて結局ダメ。ヤバいヤバいってなって商工会議所に泣きついたら、たまたま国金出身のおっちゃんがいて、身の上話したら「お前アホすぎるやろ、紹介文書いたるわ」って書いてくれて、国金から500万おりたんです。
── はじまり方がものすごいですね……。
宮崎 お金借りたはいいものの、1000万借りれると思ってたんですでに金を使っちゃってた(笑)。そもそも売る服が全然ないから、自分の私物と友達に分けてもらった服、全部を黒に染めて店に並べました。でも駅から遠いこの立地なんで、最初の方は一週間お客さんいないとかザラで。貯金もないし、親から何十万か借りても家賃で一瞬でなくなる。本当に食えなくなって、ダイエーで品出しのバイトはじめたんですよ。朝から昼前まで品出しして、そこから一人で店開けて、みたいのをずっと繰り返してました。で、ほんまにヤバいってなったときに「どうせ辞めるなら前のめりに死んだろ」って思って、逆にロビンを雇ったんすよ。あいつ、たまたま当時『カジカジ』っていう関西の雑誌のモデルをやってて。でもそこから、3年前くらいまで本当に食えなかった。ロビンはバーで、僕はダイエーでバイトしてて。だけど、ふとある時、バイトの時給7百何十円とかで月5万くらいなんですけど、それに頼ってる自分に気づいてしまって、ロビンと「腹くくってもうバイト辞めよう」と。そっからですね、ちょっとずつ伸びていった。
── 「食えるようになった」という地点にたどり着いたきっかけは何だったのでしょう?
宮崎 いまだにわかんないですね。そもそも僕、18からずっとアパレルで接客やってるんですけど、いまだに接客が苦手なんすよ。だからたぶん、本当に苦手なんやろなって思います。だから、チャキが入って3人体制になったときには、もう接客やめました。店に立たなくなって。
セールは「うまくバイイングできませんでした」と言ってるようなもの
── 商品を卸す側である川西さんにとって、MUKTAという店はどう見えますか?
川西 「サービス業」というファッションの本質がよく現れてるね。バイヤー自身がやりたいことなんかより、お客さんへ届けるという意思が強い。
宮崎 バイヤーっていう概念がいまいちよくわかってなくて。普通のショップって、偉いバイヤーがいて「今季はこれ」って言って、あとは店のスタッフに渡す感じですよね。いやいや、そんなん売れるわけないやん! って思うんですよ。僕は絶対にスタッフ全員で買い付けるモノを決める。じゃないと、みんな責任感持たないじゃないですか。スタッフのうち誰か一人は「良い」って思ってて、自信があるモノじゃないと、売ったら失礼だと思う。そして、セールもしたくない。したら負けやと思うんですよ。だって、セールって「うまくバイイングできませんでした」って言ってるようなもんじゃないですか。
川西 考えてみればそうだよね。ファッション業界のシステム自体がマーケットと合ってないのにそのまま押し通してるっていう状況が、地方でも浮き彫りになってる。
宮崎 アパレル業界の人と所謂"つるむ"気がないんで、他の店がどうやってるのかわかんないんですけど。神戸にファッション関係の友達は一人もいなくて、むしろ東京にしかいない(笑)。
── 店員さん一人一人の責任が大きいから、誰かが辞めてしまったら厳しいですね。
宮崎 あいつらが辞めたらお店辞めますよ。その代わり、例えば給料面でもなるべく不満がないようにしていて。その辺の販売員とか、朝から晩まで働いて、フォロワー何万人いるのに月に手取り十数万円とか、もう辞めればいいのにって思うんですよね。
── やったことに対してしっかり支払われると、単純にモチベーションが上がりますね。
宮崎 アパレルとか美容師ってお金もらえへんみたいなイメージ、それも意味わかんないじゃないですか。僕、あいつらに食わしてもらってると思ってるんで。その代わり、あいつらがしたいことは全部叶えたいんですよ。
どの店よりもお客さんと密接な距離感で伝えたい
── 川西さんに神戸まで呼ばれた理由がわかりました。こういう服が売れる現場の話や、売り手が考えていることの本音って、なかなかメディアに出ないですよね。
川西 面白いよね。こういう、本来大事にすべきことが、デザインする側やメディアの意識からごっそり抜け落ちてる。僕らが好き勝手デザインしたものをどうやってお客さんに届けるかっていうことの核心が、この店に凝縮されてる。
宮崎 遼平くんと知り合う前、ハニカムのインタビュー読んだら、超性格悪いヤツじゃないですか。店で遼平くんのこと教えてもらって、「何こいつ」って言った覚えありますよ(笑)。でも、実際に会って喋ったら全然違って、情がある人だった。
川西 僕に情がなく見えるのは中岡くんのインタビューの書き方のせいだよ(笑)。
── 川西さんの考え方が極めて新鮮なので、あえて煽るような構成にしました(笑)。
川西 最後に、MUKTAはこれからどうしていきたい?
宮崎 んーどうしたいんやろ。売り上げ倍にしたいとは思わないです。だいたいの店は、2店舗目や3店舗目って儲けるために同じことやるじゃないですか。でも、今年になって僕らがオープンした2店舗目のSal(サル)は全然違うことをしているし。同じ服を売る店でも、惰性でやってる販売員ばっかりのところもあって、そこと同じ枠に入れられることは単純にムカつく。MUKTAは、どの店よりもお客さんと密接な距離感で、僕らがいいと思うブランドやデザイナーの魅力を伝えられる店でありたい。とにかく圧倒的でいたいんです。
川西 総括すると、これが「ファッションの本質はコミュニケーションです」って言われる由縁の一側面と言えるかな。これはモノを売るだけじゃなくて、ブランドのPRやブランディングもそうだと思う。僕自身、ブランドをやっていくためのコミュニケーションのあり方について考えなくちゃいけないなと思ってる。