Diary 104 - 素人

Diary 104 - 素人
前回のブログの続き

Mukta / Salにお客さんとして通っていた時、主に並んでいたのは革ジャンばかりだった。革ジャンを着とけば男になれる、そういう汗臭いお店であることは壁一面に飾られたパンクバンドのポスターや、荒々しくスタッズのカスタムがされたライダースジャケットやMA-1が並んでいた10年前のMuktaとそこまで変わっていないけれど、今お店には革ジャンの代わりに沢山のテーラード・ジャケットが並んでいる。僕はテーラード・ジャケットを着るにおいてものすごく素人だ。ドレス・ウェアのお店で働いたことはないし、強いていうなら学生のころ肩パッドがしっかり入った90年代のワイズフォーメンのネイビーのジャケットや、sulvamのドルマンスリーブのウールギャバジン・ジャケットを気に入って着ていた。いずれも、ドレス・ウェアとして着飾るために着ていたというよりむしろ、自分を守るためのファッション、大きく見せるための衣服としての役割だったように思うし、なんせ自由だったんだ。素人のスキンヘッドの若造が、周りがほとんど誰も着ていないという理由だけでマナーも分からずテーラード・ジャケットを着ていたことを思い出すと、今となっては寒気さえ覚える。それでも、確かに僕はテーラード・ジャケットに袖を通すとかえって自由になる気がした。確かに自由を着ていた。

今、28歳になって、洋服によって自分を守る必要や大きく見せる必要が一切なくなった。残ったのは純粋に楽しむ気持ち。頭で楽しむファッションも大好きだし、体で楽しむファッションも大好きだし、心で楽しむファッションも大好き。そんな今の自分が選ぶのは、ありのままカッコつけるための洋服になった。展示会の時、僕がラックにかかっているジャケットをそっけなく手に取り、何気なく袖を通した時の"痺れ"で思わず「なんじゃぁこりゃあ」と口に出してしまった時のニコニコした堀切さんの顔が忘れられない。上下で揃えているお店はMukta / Salと東京のMANHOLEさんだけらしいとMANHOLEさんのブログで知りました。

この肩パッド以外なんの資材も使われていないCLASSのボタンレス・ジャケットは、自分を何からも守ってくれないし、自分を大きく見せてくれることもない。自分のありのままを少しだけ華やかに見せてくれる、ただそれだけの洋服。最高の洋服。100%無添加みたいな、そういう、どこかなんとなく足りない気がしてしまう洋服。僕は素人なので、といつも言っている堀切さんらしい、確かに素人が作ったようなスカスカに見える服。けれど、素人には絶対作れない。だから、素人が着ても楽しめる。

袖を通した時に感じる高揚感は、堀切さんの好きを追い求める気持ちがダイレクトに伝わってくるからだろうか。それぞれ組下のパンツもあります。ジャケットよりは素人ぽくない丁寧な作り。このパンツについては説明不要な気がするんですけど、どうでしょうか。

人間の中身ってムラがあって、濃密で。アンビエントだったりテクノだったり、ヒップホップだったりジャズだったり、ロックだったり、全てのジャンルを生み出せるだけの秘めたポテンシャルがあるのだから、洋服を調味料だとしたら、人間には少し足りないくらいの味付けがいいのかもしれない。お寿司に添えられた、水の綺麗なところで採れた瑞々しい山葵や、外はキレキレ、中はしっとりと火入れされた牛肉のステーキに添えるミネラルたっぷりの岩塩のように、少しだけ華やかに、少しだけ潤いを与えてくれるような、そんな洋服を僕は求めている。
チェックの生地はドーメル社のトニック・ウール。チャコールグレーの生地はドーメル社のヤッバイ・ウール。夏でも涼しい顔で、けれど汗だくで、着てほしい。

https://mukta.jp/collections/class

イタイ

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