ギリギリセーフの説得力
先日25歳になった。誕生日をお祝いされるのはたぶん、人生で25回目だろう。
先日〜歳になった。という報告をここでするのはたぶん、4回目くらいだ。
歳を重ねて、発言に説得力が増してきたように感じる。
当然、「若造」というジャンルをはみ出せてはいないことに間違いはないのだが、一応毎日些細なことから大きなことまでモノを考えてきたおかげか、25歳なりの経験、は積み重なっているような気がする。
たぶん、そのおかげだろう。
プレゼントは貰って困りません。ありがたくいただくのでドシドシお送りください。
モノを媚びるのは下品らしいよ。
下品なやつは嫌いだ。大嫌いだ。
下品というのは何一ついいことがない。人間ではない。
上品なやつも嫌いだ。何をお高く止まっているんだ。
人間なんてものは全員下品だ。
ありがとう。
眼鏡の良いところは人間の下品さを取り繕ってくれるところだと思う。
なおかつ視力が良い人にとっても、もちろん視力が悪い人にとっても、道具として合理的であるからより良い。
良い眼鏡をかければ誰だって、ある程度の下品さは解消できるはずじゃないだろうか?と僕は本気で思う。
そう考えてみたら昔の文豪や学者たちは、文明開化が遅れた野蛮な日本人というところから脱出するために、自らの下品さを少しでも取り繕うために、一種の憧れを持って眼鏡をかけていたんじゃなかろうか。
もしくは、一つ想像して見てほしい。
ネクタイが揺れる、騒々しい駅前の赤々とした提灯街を抜けて、路地裏に入る。
緑、白、赤の国旗が掛かった木目調の扉を開けると、ブルーのギンガム・チェックのテーブルクロスがかかったテーブルが並んでいる。(飲食店に青はご法度だ。けれども、それがかえって料理を引き立てる場合もある。)
そういうお店に行く時、どんな格好で向かえば良いだろう?
ファッションにTPOは欠かせない。けれど、TPOド直球ではユーモアがない。
僕はパリッとしたブルーストライプのドレス・シャツに黄色のシルクのネクタイを締めて、ツイードのジャケットを羽織ってアルザスのリースリングを飲むなんて、そんな上品なことは死んでもできない。死んだらできないね。
せいぜい、ドレス・シャツを着たら、ブルゾンを着る。コートを着たらスウェット・パンツを履く。革靴にはラバーソール。それが僕には限界。
BJ CLASSIC : Round Frame ¥28,000+tax
UNDER COVER : Milling Wool Layered Coat , Jogger Pants
DRIES VAN NOTEN : CAYLEY BIS Long Shirt
Stefan Cooke : Small Shearing Bag
けれど、眼鏡があれば。そりゃどんな眼鏡かにもよるけれど。
多少は、説得力も増すというものだろう。
僕はギリギリセーフの説得力を目指している。
BJ CLASSICのトランクショーは12月半ばくらいまでやってますので、お気軽にお越しください。
イタイタイコウ
↑Mr.ギリギリセーフ