づきん、ずきん
人やモノを魅力的に感じるようになることを、日頃から意識している人はほとんどいないだろう。意識していたとしても、例えば自分の好きな人が好きだから、とか、なんとなく波長が合うから、とかそういう曖昧なものだと思う。
僕にとって大事なのはその逆の方で、つまり、自分にとってなぜこの人やモノは魅力的に感じないのだろうとよく考えることで、余計な偏見を取り除くことができるのかな、と思う。
そういう作業をしていると、魅力的に感じていなかった人やモノ、もっと言えば、なんなら苦手に感じていた人やモノが、些細なきっかけでものすごく魅力的に映る時がある。いわゆる、ギャップ萌え。
これは3年前にFAFを紹介する際に書いたブログの冒頭文だ。少し遠回しな言い方が鼻に付く。今はもう少し簡潔な文を書くようになっただろうか。
ただ、僕がMuktaに参加し始めて以来ずっと変わらないのは、このお店をそういった「些細なきっかけ」を提供できる場として存在させていきたい、と願っていることだと思う。
そのために僕は洋服を仕入れ、洋服を売っている。たぶん、他のみんなも大体そんな感じだと思う。
きっかけ、というものは誰しもが平等に与えられているはずの様々なモノゴトに気づく契機のことだと思う。誰しもがきっかけを与えることができるし、与えられうるものだと思う。
世の中の様々なことにまずきづくこと。それから、きづいて行動すること。
それが人間として豊かであるということだと考えている。
僕はお店に来る人にきづかされたいし、できることならきづかせたい。それが刺激的で面白い。それが人として風流なのだと思う。
外部(自分以外の人、モノ)との関係において、最もきづきの濃度が高いのは、その外部とのコントラストの大きさに拠ると思う。
つまり、ギャップ萌えと形容されるような、ある種の裏切り。甘いと思ったシュークリームが、大量のワサビ入りだった時のような、トンデモないジェットコースター。
FAFの2人は僕にとって、そういう存在だった。そして、その存在が今も大いに刺激に満ちている。近い存在の人から受ける影響もいとおしくて心地いいけれど、ヒリヒリする刺激もスパイスのように効いてくる。
何より、ゴタゴタ説明するよりもまず、カッコいい先輩であるのだけれど。
そんなFAFの新作より、スウェット、シャツ、バッグが届いた。
ヴィンテージ加工を施した、変形リバースウィーブのフーディとスウェットパンツ。このフーディはまさに外付けといったように、ボタンでフードを取り外しできる。
グラフィックは40〜50年代の米企業のロゴをイメージしてMuktaでもお馴染みのWIKが手がけたグラフィックだそうだが、どこかデザイナーのツカサくんに似ている気がして親近感が湧いている。
GE○ANも顔負けの赤さと妖しさ。フードがやけに大きくて、そのシルエットが妖しさを増幅させているような気がする。フードはサーマル裏地付き。
RANDYのプリズナー風パンツと合わせると、もうちょっとアメリカのサイコキラーっぽい感じ。
個人的にはキャラっぽくて好み。
着たそうにこちらを見ていたので、田中くんにも着てもらった。ちょっとクリーンな感じ。フード取った時のシェルボタンがアクセントで可愛い。ボタン留めずにフードを被っても赤ずきんみたいで可愛い。髭面の赤ずきん。髭ずきん。
せっかくなのでもう少し遊んでみた。フードだけを使うのもいいかも。(1枚目と2枚目を交互に見るとじわじわきます。)
シャツもバッグも最高。でも今日は詰め込みすぎたのでまた紹介します。
まだまだ暑いですが、気分的にはそろそろ秋冬ムードになってきたので、洋服のことと箸休め交えながらブログ書いていきますので、見てやってください。
イタイタイコウ