悔しいもんね

イタイです。

毎日、毎日、出勤するたびに店頭を眺めては、

ああ、紹介できていない服、たくさんあるなあ。
たぶん、みんな、この服の良さにピンっと来てないんだろうなあ。

と、物思いに耽ることが多々あります。

自分が紹介しきれてないことを、頭の中で作り上げた「みんな」というおそらく一般大衆的な謎の集団のせいにしてしまうのも、日常茶飯事のことです。

そういう妄想の中の誰でもない人たちに以前はよく出会っていました。
その人たちに出会うことはきっと生産性があまりないことなので、現実世界できちんと生きよう、という風に心がけるものの、今もたまに出会ってしまうのはあんまし嬉しくないですね。

その人たちを攻撃するのもつまらないし、どうにかしようと時間を使うのも勿体ない。
それよりかはきっと目の前の人たちについて時間を使う方が大いに有意義なのかなあと思います。

確かに、「こういう人たち」 と括ることは悪いことではないのですが、狭い世界で生きているのだから、もう一回、もう二回だけ微分して考えていきたいところですね。

と、読んでもらうには勿体ないポエマーの文章から今日も始まってしまいました。

「こういう服」と括ることができない洋服のことを考えていたら、そういう駄文が浮かんできました。

良い洋服を、良い文章で伝えることができたなら、それは心地の良いモノですけれど。

何かの魅力を文章で伝えることって発電と同じようなものだと思うことがあります。
様々な形のエネルギーを最終的に電力へと変えていくわけですが、形を変える際には必ずロスが生まれる。

魅力が1%しか伝わらない、と前にブログで書いたことがありますが、それは元々洋服が持っている魅力のうち99%が文章で伝える魅力へと変換する際にロストしてしまう、といったイメージです。

たぶん、この服は何かで括ることができないし、文章では魅力は伝わりづらい。

たぶん、たくさん説明を書いたとしてもこの服の魅力はどうせ1%も伝わらないし、そのブログを見て試着しても魅力はどうせ分からないだろうから、せめて自分の感想だけは残しておこうと思う。

強いていうなら、こういう形、のブルゾンに関しては僕は文字通り腐るほど持っている。
フロントジップ、身幅広めで着丈短め。

ただ、共通点はそれだけ。

こんな色のブルゾンは持っていないし、サテン地なのにダブルフェイス的な作りのせいで落ち感やドレープ感ではなく、ハリ感を前面に押し出してくるのも意味がわからない。

ボンバージャケットのようでいて、裾や袖はリブではないし、立ち襟風だし、シルエットはかなりキワどい。

インスピレーション源のSven Lukinというアーティストも面白いなと思ったが、それが一体どうして洋服にするとこうなったのかも、洋服作りに詳しくない僕には見当もつかない。

洋服作りに詳しければ見当がつくのかどうかも見当がつかない。

RANDY / X-ING (Lt Blue, Pink)

でも買ってしまった。
なぜ買ったのかも見当はつかないけれど、全く見当がつかないという点に惹かれて買ったのだろう。

randyの洋服はいつもそうだ。本当に変な服が多い。

たちが悪いのは、変な服のくせに、変でっせー!というよりかは真顔でスンと立っている感じがする。
普通の服に対して、あなたの方がおかしくないですか?と語りかけてくるような構えさえある。
randyの服を着ればちょっとモテるんじゃあないか?とさえ時たま思い浮かべてる。

いつも面白いし、ちょっと怖い。

ひねくれにひねくれた、ピンピンの鉛筆みたいに尖った心を持った丸顔の相川さん、まさにそういう感じ。

だからこそ惹かれる。たぶん、ドがつくほどのMだからだ。
真っ白のジグソーパズルを埋めていくようなものかもしれないけれど、randyの魅力を伝えたくなるような、そういう神秘性がある。

文章では伝えきれないものを、文章で少しでも輪郭を捉えられたなら。

それ、できないと、
悔しいもんね。

イタイタイコウ

 

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