ふつうのこと
今、「ふつう」をズラすのがすごく楽しい。
よくある合わせ同士を入れ替えてみる、いつもとは違う靴をチョイスする、レングスを変える、色味をズラす。
ガラッと変えるわけでもなく、パンチが強い洋服で完結することもなく、少しズラす。
ここでいう「ふつう」とは、自分にとって現実味を帯びていることだ。
僕は洋服が汚れるのはそんなに気にならない。
もちろん汚れたら洗濯するし、匂いが臭かったりするのは嫌だけど。
でも、それが生活の中でそれが起きるのは必然だし、僕はお酒を飲んで酔っぱらったら地べたに寝転ぶくらいだから、それができない洋服は着る意欲があまり湧かない。
それに、そんなに格好つけるような人間でもない。
そういう基準に耐えうる洋服が、自分にとって現実味を帯びている、ということになる。
そのこと自体は前からあまり変わらなく、嗜好は多少変われど、その前提をもとに洋服を選んできたからか、クローゼットに謎の統一感が出てきた。
前まで自分の買い物の仕方はてんでバラバラで、一年前の自分と比べると別人であるような気がしていたが、やはり自分で選ぶものには癖が宿るようだ。
そういうことを考えているタイミングで、このブランドがお店に入荷した。
自分が働くお店にこのブランドの洋服が並ぶのは、前にお世話になっていたお店以来だから、4〜5年ぶりくらいだろうか。
コレクションはずっと見ていた。
だけど、正直Muktaで取り扱おうという風には全く思っていなかった。
ブランドとしてはかなり成熟しているし、関西でもお取り扱いしているお店は少なくないし、わざわざお店で提案する必要もないのかな、と。
ショールームで見るまでは。
去年の1月、パリで偶々別の取引先の紹介で、初めてMartine Roseのショールームに伺った時、もうダメだった。
ああ、これだな。
20〜21歳の頃に無意識で植え付けられていたであろう、そして、そのままこのブランドの洋服を着る機会が減っても、自分の脳味噌の引き出しの中にはずっとこのブランドのテンションが仕舞われていたのだろうと、その時思いだしたような感覚だった。
Martine Roseの洋服は、「ふつう」をズラしたような服だ。
レゲエ、ヒップホップ、レイブ、パンク・・・デザイナーが90年代に体験してきたロンドンのサブカルチャーと、街行く「ふつう」の人々からインスピレーションを受け、そこから生まれたあるデザインは抽出されて、またある別の文脈へと置き換えられる。
一見なんてことないように思えるのだけれども、違和感があって、でもなんてことない。
その洋服単体では違和感が仕事をしない。
「ふつう」の洋服と合わせる、もしくはとびきりアクの強いものと合わせたときに初めてその違和感が浮かび上がってくる。
過去のサブカルチャーに対するノスタルジーを孕みながら、それらは確かに現代のワードローブになり得る。
オリジナルだとトゥーマッチなんだろう。
ここ何回かにわたってのブログでリフレインするのは、ある種のノスタルジー、現代のワードローブ。
今Salに置いてある洋服は、主にロンドンのサブカルチャーを背景に抱えた、そういうテーマ観でセレクトしています。
一見共通点がないモノたちに、着用者が新たな解釈を加える。
そうして洋服の新たな側面が見いだされ、作り手に還元され、また新たな表現が生み出される、というと少し大袈裟かもしれませんが。
セレクトショップという場所は、そういう循環の中での実験の場でいられたら、と思います。
そういえばWales Bonnerについても書けていないし、他にも。
ましてやブログでは概念的なことばかり書いてしまいますが、それしか僕にはできないので、洋服のことについてのご質問があれば、店頭やお電話、メール、SNS。なんなりと。
ああ、今日は雨止まないですね。
→Martine Rose SS21 Collection
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普通という言葉をググってみた。
何もわからなかった。
こんなにも日常的に使う言葉なのに、少しもその輪郭を掴めない。
喉が痒い感じがした。
イタイタイコウ