抽象化


「抽象化」- 事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽き出して把握すること。その際、他の不要な性質を排除する作用=捨象をも伴うので、抽象と捨象とは同一作用の二側面を形づくる。(大辞林・第三版)

モノを知覚、認識する際には知っていること(余計な情報)やそれについてよく知らないことによる 偏見 が邪魔をする時がある。

タピオカの本質はあの特有の食感を味わい、幸福感を得ることが出来るデンプン質であるということだが、例えば前者だとインスタ映えする、流行っているからという理由で、行列に並ぶほどの価値はないのに貴重なティーンエイジャーの青春の一ページにタピオカが刻まれてしまう。また、後者ではタピオカの魅力(魔力)をよく知りもしないのに捻くれ者(になりたがっている者)はアホだバカだと一笑に付す。

そういえば、実はタピオカというものは非常に扱いづらい食べ物であるため、日本ではその代用としてしばしば蒟蒻が用いられることがあるそうだ。
蒟蒻を甘く味付けし、着色料で黒くタピオカに似せるという日本の素晴らしい企業努力によって私たちは行列に並ばなくとも、「ファストタピオカ 」がコンビニ等で味わうことが出来る。
何故そこまでして、と思うかもしれないが、ひいては蒟蒻そのものが元々は非常に扱いづらい代物であることをご存知の人はもしかすると少ないのかもしれない。

蒟蒻は原料である蒟蒻芋からグルコマンナンというゲル物質を抽出し、固めることでご存知のスーパーで見かけるあの蒟蒻になるという、至極簡単な製法なのだが、その未加工の蒟蒻芋というものは、シュウ酸カルシウムという劇物を多分に含んでおり、生食した場合は最悪死に至るという、その人気度の低さからは想像できないシロモノなのである。

そこまでして食べる必要があったのか。何故食べようと思ったのか。もしかすると蒟蒻の食べ方を編み出すのに何人かの人は犠牲になっていたのかもしれない。
昔の人の食に対する熱量というものは食事に困ることがない私たちにはよくわからないが、ある意味僕たちのファッションに対する熱量も、その蒟蒻の食用植物としての道を切り開いた人々への熱量に通ずるところがあるのだとしたらやはりタピオカのことはバカにできないのだろう。


 物事は多角的に捉えることで違った本質が浮かび上がってくる時がある。
タピオカとファッションについての話は全くもって無意味な話なのでこれ以上掘り下げる気は無いが、今目の前に見ているものを要素をバラバラにして抽象化して考えてみるのはオススメ。

例えばこのニット。どう捉えよう。もはやブランド名すら取り除いて考えてみるとどうだろう?ノイズ?サイケデリック?でもカラーはレイカーズだな。
高めのネックはスティーブ・ジョブズ?一本の糸から様々な色に染め上げて編まれた所に着目すると職人要素もあるのか。サイズ感はストリート。
僕の大好きなテロテロレーヨンポリニット。

デザイナーを知りすぎているように思うので、客観的に見るのが少し難しい部分があるが、個人的には僕は知的に感じる。


Knit by LANDLORD from SS20 Collection

一番軽い話題をしようとタピオカの話から始めると結局長くなった。
しかもコロナの話題の方がタイムリーだったか。

次はコロナで。

イタイタイコウ

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