Diary 195 - NOMAD

Diary 195 - NOMAD

僕がソフト・テニスに明け暮れていた褐色肌の学生だった頃、同じ学部にアカペラ・サークルに所属する、古着好きのやつがいた。それが岩井くん。当時、ファッションに無頓着だった僕には、岩井くんが着ているユーロ古着であろうチープで鈍臭いセーターなんかが、やけにオシャレに見えた。たぶん、岩井くんが良くも悪くも自分の想像する大学生像にマッチしていて、一種の憧れのようなものがあったんだと思う。その一方で、ファッションに限らず、何かと斜に構えて負けず嫌いな僕は、その岩井くんの格好に対して何もわかっていないくせにわかったふりして、「ふーん、それもいいね」といった具合で、嫉妬なのかなんなのか、こういうやつよくいるよなという皮肉めいた視点と、こういう格好してたら楽しく大学生活送れんだろうな、みたいな憧れめいた視点と、両方持っていた。大小二つのパーツからなるシルク・ウールの大判ストール。星空模様のジャガード編みは、たくさんある夜空の思い出を想起させる。

ある日、自分から誘ったのか、向こうから誘ってくれたのか、中崎町の古着屋に一緒に遊びに行こうという話になった。そもそも古着というものがなんなのかよく分かっていない状態だったけれど、当時の自分は平静なふりをして、講義終わりに岩井くんと一緒に、阪急電車で梅田に向かった。幸い、岩井くんが連れて行ってくれたその中崎町の古着屋さんは、当時の自分にとってはちっとも魅力的に映らなかった。やっぱり彼とは洋服の趣味は合わないかもな、なんて胸を撫で下ろしていると、その様子を察した店主さんが、どんな洋服が好みなんですか?と優しく声をかけてくれた。好みもなにも、ただ自分は斜に構えているだけなんです、とは言えずに、洋服に関して唯一知っているブランドが咄嗟に口をついて出た。「ヨウジ・ヤマモトとかですかね〜。」この、「とか」にはなにも含まれていない、空集合である。けれど、自信のない時にはつい「とか」なんてバレバレの含みを持たせてその場をやり過ごす、中途半端に頭の回る18歳だったことを記憶している。

幾何学模様、ストレッチが効いたテンセル素材のパッチワーク・チュニックは、存在しない民族のための移動服。性別、体型、人種を覆い隠してしまう、ドルマン・スリーブ。匿名的な民族性。

ヨウジ・ヤマモトは姉の影響で知っていた。姉や兄が高校生の頃から一生懸命アルバイトをして稼いだお金で洋服を買っていた頃、僕はスポーツをする方が偉いはずだ、なんていう謎の意地でアルバイトをせずに部活に打ち込んでいた。ただ、多感な時期にはやはりモテたい、人と違っていたいと思うのは避けられず、姉や兄のクローゼットを盗み見ては、こういうのがオシャレなのか〜、なんて勝手に勉強していた。その姉の比較的黒めなクローゼットには、Y'sと書いた服がいつもかかっていたような気がする。だから、知っていた。

「ヨウジ・ヤマモトとかですかね〜。」「それなら近くにヨウジ・ヤマモトの古着をたくさん置いてあるお店があったと思うよ!そこにいるお客さんが知ってると思うから、連れて行ってもらったら?」服に興味があるのかないのかわからない、買う気のなさそうなティーンエイジャーを追い出したかったのか、その店主の優しさなのかは、今となっては定かではないが、そうしてそこに居合わせたカップルとその古着屋を後にし、案内してもらいながら中崎町の入り組んだ住宅街を抜けた路地裏に、そのお店はあった。

人が住んでいるのか住んでいないのかもよくわからない、ボロボロの古民家の扉を開けると、とんでもなく急な階段が目の前に現れた。よく足元を見ていても踏み外してしまいそうな幅の階段を登ると、一面鏡張りの異様な空間が現れた。おそらく10畳ほどの広さのそのお店には、ぎっしりと黒やチャコール、少しネイビーの服が並び、コム・デ・ギャルソン、ヨウジ・ヤマモト、ダーク・ビッケンバーグやラフ・シモンズが少し、マルタン・マルジェラが少し、真っ黒なユーロ古着が少し、といったラインナップだったように記憶している。

確かワイズ・フォー・メンのネイビーの肩パッド入りのテーラード・ジャケットを試着させてもらったような気がするが、そこで店主となにを会話したかは記憶にない。そこに岩井くんがいたかどうかさえ、覚えていない。とにかく、タイミングが重なった不思議な体験のあと、すっかりも日も暮れて青い中崎町をドキドキしながら歩きながら、帰路に着いたことだけははっきりと覚えている。

帰ってすぐに、ヨウジ・ヤマモトを探しにインターネットの海に出た。あの時の僕は、間違いなくワンピースを探すルフィのような目をしていたと思う。SNSもろくに触っていなかったし、ファッションのことは何一つ分かっていないものの、文章を読むことだけは得意だったので、とにかくインタビュー記事やヨウジ・ヤマモトにまつわる本を片っ端から読み漁った。(そこで鷲田清一にも出会った。)輝いて見えたのがどうしてか、その理由が知りたかった。どんな洋服なのか、どんな人なのか、そういう好奇心に駆られて徹底的にその理由を言語化する癖は、今も変わっていない。

黒の衝撃、とか、モード、とか、ボロの美学、とかそういう紋切り型のカテゴライズに飛び付かなかったのは、自分の斜に構える性格が功を奏した。自分だけが知っている、ヨウジ・ヤマモトの美学を見つけたかった。それで、特に印象的だったのが、ノマドというフレーズだった。インタビューに答えている山本耀司は、俺はノマドになりたいんだって、そう言っていた。

ノマド・ワーカーという言葉があるように、本来は遊牧民を意味するその言葉を、山本耀司はもう少し抽象的に、旅をする人、とか、定住を持たず彷徨っている人、とか、そういう意味で使っていたように感じた。その辺にある布切れやボロい服をまとって、ポケットにタバコと小銭、それと酒か薬と文庫本を適当に突っ込んでいるおっさん、だけど品と色気がある感じ、という人物像がすぐに浮かんだ。(小学生の頃から大好きで読んでいた、シャーロック・ホームズの人物像と近かったのもあると思う。)そうやってヨウジ・ヤマモトの服を着ている人を、少なくとも僕は知らなかった。そこからはより一層没入し、気づいたら部活も辞めて、その中崎町のお店で働かせてもらうことになる。

パープルとブラックのダブル・フェイス。ほとんどアウター。究極的にはこれだけで冬を越せるかもしれない。

今となってはヨウジ・ヤマモトの服に袖を通すことこそなくなってしまったが、今回のキコ・コスタディノフのコレクションをパリで見た時、そのファッションの原体験の一つとでも呼ぶべき記憶が鮮明に思い出された。これはノマドなんだってはっきりと感じた。かつてはヨウジ・ヤマモトのコレクターとしても有名だった彼のコレクションから、デザインの面では微塵も感じられないが、哲学の面で山本耀司の影響を感じるというのは、無茶な意見ではないだろう。そして、当時学生だったころよりはるかに移動が増え、定住と呼ぶべき場所がうっすらなくなりつつある自分にとっても、そのSF・ノマド的なキコ・コスタディノフのコレクションはリアリティを持って僕に迫ってきた。

今の僕にはたぶん、ヨウジ・ヤマモトの真っ黒な服は必要ないし、山本耀司のインタビューは必要ない。必要としているのは、今の自分の感覚でキコ・コスタディノフを着るように、過去の自分を美化せずに肯定し、現在の自分より少し背伸びして、未来を楽しむこと。洋服を好きになって10年ほどが経ち、昔の服も今の服も変わらず愛着を持てることが嬉しい。とりあえず、もう10年。洋服を通して少しでも男らしく、真っ当に生きていけたらな、と思う。その先は、まだわからないけれど、今よりさらに多くの人に洋服を好きになってもらえてたら、まあ自分の役割としてはいいかな。

だいぶと涼しくなってきましたね。店内もより一層充実してきました。この季節は年末までいつも以上に毎日楽しいです。気が向いたら、遊びにいらしてください。どうぞ楽しんで。

https://mukta.jp/collections/kiko-kostadinov

イタイ

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