ウン、ウン
給付、ではない。
もらえたら嬉しいけれど、某マスクみたいなものは困りますものね。
休符、というものがある。
昔からどうして休符みたいなものがあるのだろうと、いつも不思議に思っていた。
ウン、ウン、数える意味あるの?
音楽の授業で休符を描く練習をさせられたことは、未だにネに持っている。
今になって、ようやく、少しだけ理解しつつある。
あれは休符という音なのだろう。音符と休符は同じ身分だ。
休符が存在することでその曲はより豊かになる。
メリハリがつく。曲の聴き手は休符の間、音が鳴らないということを味わう。
音は止んでいるのではない、止めているのだ。
10周年のイベントも無事終わり、11年目を毎日更新しているわけだけれど、
洋服を紹介しない、そういう休符のようなブログにしようかと書き始めたのだけれど、
休符ということを考えていると、最近ヤーーーーっと届いたロンドンの二つの洋服のことを思い浮かべてしまったので、詳細は改めて書くとして、軽く触れておきたい。
何の変哲も無い、ただ、ジップがあるだけ。
裏地は無く、ハリのあるウールサージ生地のスラックスで、今回のコレクションが学校を彷彿とさせるものだったからか、個人的には中学生の時のスラックスを思い出してしまう。
ただ、そこにジップがあるだけ。
トップボタンはオリジナルの真鍮ボタンを用いているし、シルエットも適度にスリムな美しいストレートで、一切野暮ったさは無く上品にまとまっているのだが、何故か学生服が頭から離れない。
遅刻しそうになって爆速でチャリを漕いでも、放課後に制服のまま鬼ごっこしても、ポケットにジップが付いていたらなけなしの小遣いを落とすこともなかっただろうな。
なんて昔を思い出しながら。
そこにジップがあるだけ。
スリーストライプのブランドを思い出す。これはラインを上から縫い付けているわけではなくて、パッチワーク状に異なる白黒のナイロン生地で構成されているのだけれど。
テックウェアブランド、という目で見られていそうなこのブランド。
これは本当にテックウェア?
僕にはそう思えない。
でもなぜか惹かれる。
ファッションにおける休符というのは僕にとってはデザインが無い、という事ではなさそうだ。
どうしてこの服がこんなに値段がするんだろうか。どうしてこのディテールなのだろうか。デザインの強弱というよりかは、理解に時間がかかる洋服、それは恐らく身に纏ったときの余韻が長い洋服のことだと思う、尚且つその余韻を自分の空想や思い出と重ね合わせながら楽しめる、そういうものが休符みたいなもののような気がする。
安くはないけど、どっちも買っちった。
くそ〜物欲は無くならない。ほんと、やだネ。
イタイタイコウ
P.S.
文章を読むことも、書くことも。
どちらも尊くて、
幸運なことに、明日も丁寧に、言葉を使えるように。